僕の場面緘黙は亜種

僕は緘黙症の中でもまれなタイプだ。

だから、緘黙症を経験してる人がほかにもいることを知っても、
まだ孤立感というか、理解されないという感じ方は強く残っている。

僕はインターネットで知り合った元緘黙児の人とお会いしたことがあるけど、
ああ、これが本当の緘黙というものなのかな、
自分はやっぱり違うのかな、
と思わせられた。

ほとんどの緘黙経験者は幼児期から小学生の間に緘黙が始まるそうだ。
だからものごころついたらもう自分は緘黙症だったという人が多い。

その人と会って感じたことは、
たしかにこの人は緘黙の人だとすぐ思わせられるにもかかわらず、
それが自然に見えるのだ。

その人はものごころついたときから緘黙症を持って育ったので、
それが自分であり、自分のパーソナリティとして素直に受け止めているように感じた。
緘黙症とともに成長して、大人らしい落ち着きを感じた。

それは、表面的には緘黙の程度がかなり治まっている僕とまったく違っていた。

僕は高校に入るまでは緘黙ではなかった。

しかし、そのために、半分大人になり始めようとしている目で
緘黙に陥っていく自分をはっきりと自覚していた。

そして、元の自分はとても元気な子供だったから、そのギャップに苦しんだ。
こんなのは自分じゃないんだ、という思い。
そして自分でありのままの自分を受け入れられないようになったのだと思う。

そして、ある意味で、普通の緘黙児よりももっと激しく心が歪んでしまったのだと思う。


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