自分は偽善者?

僕は緘黙症のことしか今のところ頭にない。
他のもっとマイナーな障害や病気の人のことは目に映っていない。
では、自分はただ自分の恨みを晴らすための自己中心的な行いをしているだけなのか?
それをこの間考えさせられた。

それは、平野代議士の事務所を先日訪れて、いつもお世話になっている秘書のKさんとお話ししていたときのことだ。

平野先生は国会で多忙を極め、ほとんど地元に帰ってこられず、Kさんが東京に行っても直接会う機会をもてないほどだそうだ。

僕は、「そんな大事な事案でいっぱいの中に私どものようなマイナーな仕事を押し込んでしまい申し訳ないです」と冗談交じりに言った。

すると、Kさんは真剣な顔をして、

「マイナーではありません。500人にひとりなんて多いです。中には1万人にひとりという難病と闘っている人たちもいるんです。私の妻は実は○○病という今の医学では完治できない病気です。でも今はそれを受け入れて心安く生活しています。」

と仰った。

僕は自分たちこそマイノリティーで世の中で誰にも知られていない悲惨な存在だと思っていた。
しかし、そうではなかった。
Kさんの言葉を聞くまで、僕は自分の体験のことしか頭になかったと言ってもいい。

僕はその苦痛の恨みを晴らすためだけに活動をしている。

ところが、世の中には、僕たちも含め、そのような、普通に生活していれば全く知ることもできないごくわずかな障害や難病の解決のために必死で動いてくれている人たちがいる。

それが、平野先生であり、Kさんのような方たちだ。
また、学問界においてはF先生、K先生、S先生たちのような方たちだ。

本当に他人の役に立ちたいと思って活動する人は、自分たちの利益を離れたところにいる人たちを放っておけない優しさや使命感を持っている。

幸い、僕は使命感に燃えた平野先生に力を貸してもらえることができた。
平野先生はこれまでLDやADHDなどの人々の支援を国家政策にするため尽力されてきた方だ。
秘書のKさんも同じように、本当に自分とはなんの何も関わりのない人々のために働くために、わざわざ会社を退職して議員の秘書に転身してきた方だ。

それに比べて、自分はどうか。
自分は実に自己中心的な人間だ。
僕はは自分が苦痛を味わった緘黙症のことしか頭にない。
そのような者がボランティア団体を作り、代表だと名乗っていていいのか?

でも自分が動かなければ他に誰も動いてくれそうになかった。

そのジレンマのようなものについて考えさせられた。

結論として、今は、自分が思い、できることをすればいいのだと割り切っている。

いつか代表を交替するときは、自分よりももっと心の広い人に交替してほしいと思う。
そうしなければ、緘黙の会は腐っていくかもしれない。


※この記事は緘黙の会会員専用HPの掲示板に僕が書き込んだ記事を少々書き直したものである。


にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0