翻訳書制作依頼の活動に至るまで

前回、"Helping Your Child with SM"の翻訳書の出版決定の予告をついに発表できた。

この原書は2005年8月の発行で、僕がこれをインターネットで知って購入したのはその年の10月だった。
購入したばかりの頃は仕事に追われていて、全部読むことはできなかったが、だいたいの内容は把握した。
それで、この本の存在を11月13日の記事で初めて紹介した。

その後、幸か不幸か(不幸に決まってるが)、僕は精神の病にかかり、1月末から休職して自宅静養を余儀なくされた。

2月に入るとだいぶ調子が戻ってきたので、読みかけていた原書を一週間ぐらいかけてじっくり読み通した。(ちなみに僕は日本の英検でいうと一級の力を持っている。)

ブログの記録をたどってみると、読んでる最中から、早速2006年の2月8日の記事で原書の内容を紹介する記事を書き始めている。
その後、2月14日2月18日2月20日の記事まで4回紹介を続けている。
その頃の記事やコメントを読み直してみると、すでにこの本の翻訳書があれば・・・ということや、当事者や保護者が力を合わせて学会へ要望を出すなどの意見を書いている。

その頃から真剣にどうやって翻訳書を制作するか検討していた。

僕は読んで理解できるから、自分が翻訳できないこともない。
しかし、自分は仕事で翻訳もときどきすることがあり、その関係で翻訳学校にも会社から通わせてもらっていたから、プロの翻訳家の力量がいかに単なる英検一級の人間とはかけはなれて想像を絶するものであるかを僕は知っていた。
生半可な実力で翻訳したりすれば、読み手にとって分かりにくい下手糞な日本語になるのは目に見えているし、だいたい何年かかるやらわからない。
それに翻訳してから監訳をしてもらう必要もある。
それから出版社へ持ち込んで交渉してもうまく行くかどうか分からない。

この原書の内容はあまりにもすばらしいので、素人が手を出してはいけない。
これほど重要な書籍は、必ずプロフェッショナルの方々にお願いして一刻も早く最高品質の翻訳書として世に送り出さなければならない。

そのように僕は結論した。

そして、誰に監修を頼むか出版社をどこに定めるかなどいろいろ思案した。

ところが、そうしているうちに病気が悪化し始め、3月から本格的なうつ病の苦しみとの闘いが始まった。そのあたりのことはブログで何ヶ月も喚いている。

そのために、計画の実行が遅れてしまった。
実際に監修をを引き受けてくれる先生を見つけて出版社などと連絡をとり、原書の内容とその翻訳書の必要性を説明するために上京したのは6月も末のことだった。

説明会の場で確実に翻訳書制作のゴーサインをもらうため、2週間ほどかけて80ページぐらいの説明資料作成して、それを携えて行った。それと、仮に作った名刺と・・・

名刺にはいちおう肩書きがないと格好がつかないから、とりあえず「緘黙児を支援する会 代表」と銘打っておいた。

しかし、説明会の4日ほど前になって、僕が一人で説明するだけではインパクトに欠ける、なぜなら僕は高校の間だけ緘黙症だった変り者で今はかなり回復しているからということが心配になり、ブログで知り合った幼い頃から緘黙児であった元当事者の方にお願いしていっしょに上京してもらった。

僕はかなり冗長に話をしてしまったため、説明会は4時間もかかった。
けれども念入りに資料を作成したおかげで、翻訳書の制作はその場で、よしやりましょう!ということになった。
いっしょに来てもらった方の体験談も緘黙症の実態を認識させるのに大きな影響を与えたに違いない。

翻訳監修出版の作業はすべてその道のプロの方々にお任せした。
これで僕の役目はとりあえず果たした。

悔やまれるのは、病気が悪化する前に計画を実行できなかったことだ。
そのために、出版が5月末ごろとなり、学年を跨ぐ前に出版を実現することができなかった。
このことは本当に残念だ。

説明会の帰り、時間が少しあったので、いっしょに説明会に来てもらった方と喫茶店で話をした。
そこで冗談で「緘黙児を支援する会の二人目の会員になってもらえませんか?」と尋ねると快く「はい」と応えてもらえた。
そのときは本当に冗談だったけれども、それが数週間後には現日本へ最新の緘黙症治療法をもたらす会(緘黙の会)」の結成につながっていったのだった。


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