ほんとうは暖かい光が好き 〜場面緘黙症との闘い

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zoom RSS 当事者の思いと他者の認識の間の乖離

<<   作成日時 : 2008/02/19 16:25   >>

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2月4日の記事の続きです。
緘黙症の当事者の立場からすると、どうして自分のことをもっとちゃんと考えてくれないんだ!?と不満に思うのは当たり前だと思います。

私は30歳を過ぎて初めて緘黙症という言葉を知り、自分が当事者だったことを知りましたが、今までの辛い人生はいったいなんだったんだ?と腹が立ってしょうがありませんでした。

それで、どうして当事者が自分自身の障害を知らずに苦しみ続けるようなことが起きるのか原因の追究を始めました。

そして、緘黙症に関心をもっている研究者がいない、行政が全く対策を講じていないという2大原因を突き止めて、この人たちに怒りをぶつけるようなことをブログにいっぱい書きました。

けれども、ではなぜ研究者にも行政にも関心を持たれないのか、その源までもっと考えたのは最近のことです。

行動療法学会のシンポジウムが終わった直後に話題提供者の会員たちとお話ししているときに、教師の立場で話題提供をしてくださった方から「犯人探しをしたらあかん」と言われたのがきっかけでした。

その方は教師のお立場で、「問題を知っているのにそれをほったらかしにしているならそれは悪いことだが、目だって悪いことをしたりしない緘黙生徒はふつう問題と思われない」と仰られました。

私はそのときは仰られた意味がよくわからず、「なんでやねん!という怒りが私の活動の原動力です。怒らなくなったら私は活動する動機がなくなります」と言いました。

でも、教師から見える緘黙児童・生徒の姿、そしてなにより保護者団体が存在しないという事実などを考えると、誰も悪い人はいないという結論に達しました。

発達障害、肢体不自由、不登校、引きこもりなどなど子どもの問題を共有するための大小さまざまな保護者の集まりがあります。

そんな中で緘黙症だけ保護者の集まりがないとはどういうことか?

私はブログで何度も自分の両親の態度の冷淡さを訴える記事を書いてきました。
その方向で考えると、緘黙症の子の保護者は特別愛情が足りない人たちばかりなので今まで保護者団体もできなかったという結論になります。

しかし、どんな子どもの保護者も平均すれば皆同じのはずです。

ということは、保護者に問題があるのではありません。

そしてやっと、緘黙症が放置されている理由は「緘黙症そのものの特徴のためである」という認識に到達しました。

緘黙症の苦しみを経験していない人にはなんのこっちゃと思われるかもしれませんが、当事者の私がこのように認知を改めるのはとても難しかったです。


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 今の心療内科に罹って4年目。 ...続きを見る
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2008/02/20 13:48
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