ほんとうは暖かい光が好き 〜場面緘黙症との闘い

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zoom RSS 緘黙児の代弁者2

<<   作成日時 : 2007/12/14 04:01   >>

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前回の記事にいただいたコメントで、自分自身が体験を語ることによって「やるせない」気持ちを味わったことに共感していただきました。

けれども、推察してくださった気持ちが実際私が感じた気持ちとはちょっと違っていたので、改めて、「やるせない」とはどういう気持ちだったのか書いてみます。

やるせない気持ちになったというのは、話をし過ぎたというより、正確に体験を伝えるなら、たった15分程度の時間で語りきれるものではない。自分の辛さはそんなに簡単に説明できるものではない。中途半端な話を聞かせるぐらいならなにも教えないほうがましだという気持ちからだったと思います。


聴衆にしっかり聞こえるように少しゆっくりめに15分話すと、だいたい4500字前後の量になります。

話題提供の原稿を書き始めた時、まず緘黙の体験について書いた過去のブログ記事を時系列的につなぎ合わせてみました。
すると、それだけで15分で話す量の20倍ぐらいになりました。


私が今までブログで書いた体験談でさえ、自分の心に焼きついている記憶のほんの一部でしかありません。
それをさらに20分の1に圧縮する作業はたいへんでした。

これを抜かしては自分の心にぱっくりと開いた傷口の痛みを理解してもらうことはできないというエピソードを泣く泣くいくつも削りました。

最終的にできた原稿はそれなりに簡潔にまとまったものになりました。
けれども、それを読み上げて聞かせても、全然自分の真実を伝えた気がしませんでした。

学会のシンポジウムでの話題提供ですから、聴き手にとっては問題となるポイントが掴めればそれでよいのだと思います。
たとえば、先日の行動療法学会のシンポジウムならば、最低、私がいくつか通った相談機関ではどこも場面緘黙と言われたことがなかったし、カウンセリングなどによって心が癒されたこともなかった、という事実を提示できればよいわけです。

しかし、いくらそのことは承知していても、ほんの一瞬一瞬をとびとびにつなぎ合わせただけの話で私の緘黙の体験の何が分かるのか?という気持ちがしました。
見知らぬ人たちにそんな話をするぐらいなら何も知られないほうがましだと思いました。



ところで、元々予定していた方がやっぱり話題提供をすることはできないと訴えてきたのはシンポジウムの3,4ヶ月ぐらい前のことなので、土壇場でキャンセルしたわけではありません。

そもそも、去年シンポジウムの開催が決まった時点ではまだ会員の数が少なくて私自身が話題提供者になる予定にしていました。

しかし、私は高校からの発症という稀なケースのために、幼少の頃からの緘黙の経験を語ることができないので話題提供者としてはあまりよくないなと思っていました。

その後、当事者会員が増えてきたのでその方々に登壇を打診して代わってもらったのです。

登壇に応じてくれた方は若い女性で、緘黙の体験は、過去の思い出というより、心にはまだ生々しい傷口が開いていていると思います。
そのような方に酷なお願いをして悩ませたことを反省しました。

緘黙症経験者が過去を語るのはある程度改善した人が一人一回ずつするだけでもう十分結構だと思いました。


緘黙症の心理メカニズムを熟知している先生方でも、本人の抱える内面の苦しみの大きさまで知っている様子は窺えませんでした。

だからこそ経験者が教えなければならないのですが、15分はあまりにも短かったです。


今後また緘黙症の体験を語る企画をするのならば、今度は一人の体験が十分に伝えられるようなものにしたいと思います。

語るなら気の済むまで徹底的に語るほうが本人にとって後味の悪い思いをさせなくていいし、聴き手も緘黙症の辛さをもっと深く理解できるでしょう。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
私は当事者ではなく、保護者として長い間、娘をみてきた側から、弥生桜サンが仰ることが、分かる気がします。
シンポジウムの話題提供や、経験談投稿も、協力しなければ…そう考えても、娘が生まれてからこれまでの、あまりにたくさんの出来事や思いや経験を、さらりとまとめることなど、とても出来るものではなかったからです。
アンケートには何とか協力しなければと、かなり無理にまとめましたが、もっとたくさんの書き出しきれないもの、色々な感情があふれ、こんなに簡単な内容で済ませるのがとてもやるせない、そんな気持で書上げました。
ai
2007/12/15 00:31
 前回、的外れなコメントをしてしまいました当事者のかいわれでございます。
 「やるせない」から想像した部分が、実際のシンポジウムという場所、定められた時間の中で、「場面緘黙症経験者の葛藤を語りきる」ということの難しさ、もどかしさがあろうことを予測しきれませんでした。
 発表予定の場面緘黙症経験者の方が「ドタキャンした」ものと勝手に想像したのも私の独りよがりでした。
 弥生桜さんや他の方達のお気持ちを察しきれない誠に失礼な行為であったと心からお詫びを申し上げます。
 私自身の経験上、相談に見える方が「語りすぎ〜自己開示のし過ぎゆえにやるせない思いに至った」ということが時々ある事ゆえ、このような的外れを致しました。
 反省しております。お許しください。
かいわれ
2007/12/15 22:12
語りつくせない辛酸の日々を白日に曝す「やるせない思い」は、本当には誰にもわからない。だから、話したくないという緘黙のみなさんが、意を決して声に出して訴えなければならないという矛盾や葛藤は想像してもしきれないと思いました。私のような立場の人間は、コメントすべきでないかもしれません。そうとも知らず、知らなかったから過去には軽々しいコメントを差し上げ続けたことをただ反省するばかりです。
本当に伝えたいことが伝わらない。どうして知って欲しくないのに、知ってもらわなければならないのだろう。
弥生桜さんが代弁してくださった思い出したくもない過去から現在に至る諸々の心情も、当事者の方々同士ならきっと共感できるのではないでしょうか。
ゆきんこ
2007/12/16 22:03
お返事が遅くなりました。

aiさんへ
そうでしたか…
保護者の立場からも辛い日々をあんな簡単なアンケートで語れるものではないのですね。
そこまで思いが至りませんでした。すみません。
でもおかげさまでアンケートの結果は先生方にたいへんな衝撃を与えたようです。これは我々がなんとかしなければ、と問題意識をもってもらえたと思います。
ご協力ありがとうございました。
弥生桜
2007/12/20 19:04
かいわれさんへ

謝っていただくことは全くありません。私が曖昧なことを書いていたわけですから。心情を推し量ってくださっただけで嬉しかったです。

経験者にしかわからない緘黙症特有の苦しみを他者に伝えるのは難しいです。でも経験者が語って教えなければいつまでたっても緘黙症は軽視されたままです。
私自身は先日のような機会が今後もあれば何度でも話しをするつもりです。
弥生桜
2007/12/20 19:10
ゆきんこさんへ

緘黙症は本人がとてつもなく辛いということを他者に知ってもらわなければなりません。
そうしないと誰も動いてくれません。

当事者の間で体験を語り合って共感することは、他者へ経験を語って緘黙症の本質を知らせる動機を生むための原点だと思います。
弥生桜
2007/12/20 19:20
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