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今日は元緘黙児の気持ちについて一つ学んだことがあった。 僕が小学3年生から6年生まで同級生だった女の子で、A子ちゃんという子がいた。 初めて同級生になった頃、そのA子ちゃんは学校でいっさい口を聞かず、顔はいつも能面のように無表情で笑ったところを見たことがなかった。 小学生の頃は元気いっぱいだった僕は、変わった子やなあと思っていた。 ところが、たしか3年生の途中ぐらいから、A子ちゃんは少しずつ話をするようになり始め、4年生の頃はもう普通にお話しするようになっていた。 今、思うと、3年生のはじめごろのA子ちゃんは場面緘黙児であったに違いない。 でも、仲よくしてくれる友達ができたりしたおかげで自然に場面緘黙の症状が消えていったのだろう。 僕はそのA子ちゃんのことを思い出し、当時の担任のB先生にどのようにA子ちゃんを指導されたのかお聞きしたいと思った。 そして、B先生に連絡を取り、その旨を伝えた。 B先生とお話しするのは30年近くぶりのことだった。 そしてB先生に日時を指定してもらい、近くお会いすることになった。 お会いできることが決まってから、僕は「そうだ、せっかくだから当人のA子ちゃんにも来てもらって当事者として当時どんな気持ちでいたかを聞いてみよう。」と思いついた。 それで、卒業アルバムの名簿を見て彼女の実家に電話をした。 A子ちゃんはすでに結婚して実家にはおらず、A子ちゃんのお母さんに自分の目的をお話しして、A子ちゃんに伝えてもらうようにお願いした。 そして、もしA子ちゃんが同意してくれたら、僕かB先生へ電話で連絡してもらうように伝えてもらうようお願いした。 A子ちゃんのお母さんの話によると、A子ちゃんはやはり小学校に入学したときから家では話をするのに学校では話をできない子だったそうだ。 それで、2年生のときの担任のC先生が非常に熱心にA子ちゃんに関わってくださったそうだ。 それを聞き、僕はC先生のお話しも聞きたいと思い、C先生の消息を尋ねるため、市の教育委員会に電話した。 しかし、C先生の消息を知りたい理由を話すと、それでは調べてあげることはできないと言われてしまった。 なぜなら、教師には自分の関わった子供たちの情報を守秘する義務があり、A子ちゃんの指導について聞き出すことは守秘義務に違反することだからだった。 僕は納得したのでC先生の消息を調べてもらうことは諦めた。 と同時に、B先生にA子ちゃんの指導をお聞きするのも守秘義務違反になることに気づいた。 それをB先生にお伝えして、もしA子ちゃんが来てくれるなら、A子ちゃんの当時のお話しだけ聞いて、そしてあとは昔の思い出話でもして楽しもうということにした。 A子ちゃんも懐かしいB先生に会えるので喜んでお話ししに来てくれるだろうと僕はほとんど疑いなく期待していた。 ところが、僕は自分がたいへん大きな誤解をしている事実をたたきつけられることになった。 今日、A子ちゃんのお母さんから連絡があった。 A子ちゃんのお母さんはちゃんと僕からの用件を彼女に伝えてくれたそうだ。 それに対して、A子ちゃんはこう答えたそうだ。 「私はそんな小さなときのことはすっかり忘れている。 今は主婦として平々凡々な幸せな毎日を送っている。 だから、昔のいやな思い出をわざわざ蒸し返したくない。 そんなことを話すために、B先生とあんまり覚えてない弥生桜君なんかに会いたくない。」 このようにあからさまに不愉快な気持ちを表して断られた。 僕はすっかり自分が勘違いをしていたことに気がついた。 子供の頃に完全に場面緘黙症が治癒した人は、自分のつらかった記憶など日常の中で全く思い出さないのだ。 僕みたいに、こうやってわざわざブログで「自分は緘黙やったんや〜!」と叫んでいる人は、緘黙を完全に克服することができず、いまだに影響を引きずってることを自覚している人たちなのだろう。 でも、緘黙を克服したと言ってる人でもブログなどで体験記を綴っている人もいる。 そういう人は、克服はしたものの、実は今でもちょっと影響が残っていると感じている人たちなのだろう。 ところが、本当に完全に治癒した元緘黙児という人々は、そんな苦しかったときのことなど全く意識することなくふつうに生活している。 そしてあの頃のことを聞こうとすると、なんでわざわざそんなこと思い出させようとするんだと怒る。 つまり、元緘黙児自身が場面緘黙を問題視していないのだ。 僕はここに場面緘黙が世の中で認知されていない理由の一つがあると思った。 完全に緘黙が治った人は、緘黙について思い出して話す気持ちなどない。 逆に、緘黙を完全に克服してないか、いまだに緘黙のままの人の多くは、やはり自分のことを表に現すのを恐れるから、「自分は緘黙です」なんて言わない。 または、「場面緘黙」という言葉を知らず、いつまでも一人で喘いでいる。 僕のようにブログやHPで「自分は緘黙児だった」と表明している人は、元緘黙児の中でも変り者の部類の人間なのだろうか? ほとんどの元緘黙児は、治った元緘黙児も、治りきらなかった元緘黙児も、どちらもそれについて黙する。 したがって、現緘黙児の気持ちの代弁者はほとんど存在せず、世の中に場面緘黙児の存在は認知されない。 だから、変り者の僕らがそこへ楔を打ち込むのだ。 にほんブログ村 特別支援教育 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
未だに引きずってる変わり者がココに(笑)。冗談はともかく、私はブログの世界だから正直な気持ちを綴れる。学校で喋れなかった自分に蓋をして鍵をかけて生きてきたけど、ネットで「緘黙」というピッタリの鍵を見つけたから思い出広げてブログに綴ろうと思えたのです。 |
野ウサギ。 URL 2006/07/19 10:29 |
野ウサギさん。はA子ちゃんの気持ちがわかりますか。僕はさっぱり予想できてなかったんですよね。 |
弥生桜 2006/07/19 16:17 |
僕も野ウサギさんに同意ですね。 |
俊太 URL 2006/07/19 21:47 |
こんばんは。 |
cumin 2006/07/19 23:02 |
俊太さんへ |
弥生桜 2006/07/20 00:48 |
私がA子ちゃんだったら・・・緘黙当時の自分を知っている人、しかも同級生にはやっぱり会いたくないですね。たまに同窓会のお知らせがあるけれど、たくさんの同級生に会うことを考えると身震いがします(笑) |
るい URL 2006/07/20 08:09 |
弥生桜さん、いろんな人にカミングアウトしてるんですね。それはそれで大きな一歩ですよね。私はたぶん一生無理のような・・・涙。 |
野ウサギ。 URL 2006/07/20 09:11 |
cuminさんへ |
弥生桜 2006/07/20 09:38 |
るいさんへ |
弥生桜 2006/07/20 09:53 |
野ウサギ。さんへ |
弥生桜 2006/07/20 10:17 |
私も、まだ少し緘黙を引き摺っている一人です。 |
pisu URL 2006/07/20 14:11 |
>弥生桜さん |
るい 2006/07/20 15:18 |
インターネットの登場は緘黙経験者には大きなツールとなったのですねぇ。 |
弥生桜 2006/07/20 19:50 |
るいさんへ |
弥生桜 2006/07/20 19:54 |
今回の内容も多くのコメントも大反響で、弥生桜さんのご活躍振りに感動しました。 |
ゆきんこ 2006/07/22 14:59 |
入手したチラシのフリースクール「みらいの会」in京都をご紹介します。 |
ゆきんこ 2006/07/23 22:06 |
確かにそうですね。私も忘れてた時期ありました。というか思い出さないようにしてた時期ですね。 |
まゆみ 2006/07/24 22:53 |
ゆきんこさんへ |
弥生桜 2006/07/25 19:47 |
まゆみさんへ |
弥生桜 2006/07/25 19:58 |
私も関西(奈良)の住むもうすぐ27になる♀です。 |
r 2006/07/29 11:31 |
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r 2006/07/29 11:31 |
そんな私ですが、ホームページを作ろうとはならないんです。親からずっと否定されてきたので今更「何だ・・」ってなるのかもしれません・・。とにかく、‘緘黙’だとわからされなさすぎ・・でしたね。 |
r 2006/07/29 12:03 |
「負けたらあかん!」って本読んだことありますか? あの本以前に読みました。今つくづく、「こんな本書けたのはきっとおかあさん……専業主婦?……そんな肝っ玉母さんの、あの子に対する思いやりがあったから書けたんだ…」ってすごく思います。うちの親なんか全然あぁじゃありませんでしたから。 |
r 2006/07/29 12:44 |
弥生桜さん |
r 2006/07/29 14:25 |
重複ですみません。 |
r 2006/07/29 14:39 |
rさん、はじめまして。 |
弥生桜 2006/07/29 21:07 |
rさんへ(続きです) |
弥生桜 2006/07/29 21:25 |
rさんへ(続きです) |
弥生桜 2006/07/29 21:36 |
>A子ちゃんは本当に完全に子供のうちに場面緘黙症が治癒した例ですね。そんな人たちは自分たちと似た匂いなんて全くしないんですよ、たぶん。 |
r 2006/07/29 22:49 |
>ところで、「緘黙」の言葉は出さないで言っていくというのはどういう意味なんでしょう。ただ喋れなかったと告白するということですか? そこまで言うんだったら、これって緘黙症って言うねんと言ったって同じ気がしますが… |
r 2006/07/29 23:04 |
>今の僕なら緘黙症のときの自分を知ってる人に出会ったら、「ごめん」て謝りたいです。僕の場合、逆にそのときの自分を知る人に会いたいです。昔は絶対会いたくなかったですけどね。 |
r 2006/07/29 23:17 |
今日はたくさん書いてしまいました。 |
r 2006/07/30 00:30 |
「自分は緘黙症でした」って普通は言われないですよね。多分、子供の頃に、周りに理解をされないどころが、勝手な解釈、むしろ自己否定しかされないんです。それが、ずぅ〜っとだったんです。 |
r 2006/07/30 13:54 |
今更、(私の過去を知っている人に)「私のあの症状は緘黙症」…なんて言いたくない。絶対に言うもんか!って…。特にさんざんいじめたりした、そんな近所のあの子なんかには… |
r 2006/07/30 13:54 |
たくさん書いてしまいました。 |
r 2006/07/30 13:59 |
すみませんまた書きます。 |
r 2006/07/30 16:13 |
A子ちゃんは「忘れよう」としているのかもしれませんね。私も似たような気持ちですよ。「負けたらあかん!」読んで、ほんとに嫉妬しました。あの本だけじゃない。親が理解ちゃんと示してくれた…そんな人ってものに、私はすごく嫉妬をしてしまうんです。 |
r 2006/07/30 16:33 |
すみませんがまた書かせてもらいます。m(__)m |
r 2006/07/30 23:53 |
>このようにあからさまに不愉快な気持ちを表して断られた。 |
r 2006/07/31 00:14 |
>ところが、本当に完全に治癒した元緘黙児という人々は、そんな苦しかったときのことなど全く意識することなくふつうに生活している。 |
r 2006/07/31 00:14 |
>完全に緘黙が治った人は、緘黙について思い出して話す気持ちなどない。 |
r 2006/07/31 00:22 |
また書きます。「吐き出させ」てください。 |
r 2006/07/31 14:26 |
それに、私と緘黙症は同義ではないです。子供の頃はそれで悩んでもいましたけど、でも、もう過去なんです。わからないひとにはきっとわからないでしょう。だから、積極的に言おうとはしません。ですが、押し黙ったまま生きていくことだけは避けたい。でなきゃ苦しんだ意味ないもん。今の私はこんな感じだと思います。長々と、失礼いたしました。 |
r 2006/07/31 14:30 |
いや、ほんとに長々とコメントいただきました。 |
弥生桜 2006/07/31 20:53 |
そうですか。A子ちゃんの言った言葉を聞いて自分に似ているとすごく思ったんで感情が沸き起こってきていろいろ書いてしまいました。 |
r 2006/07/31 22:32 |
僕もA子ちゃんに会えたわけじゃないから、本当の気持ちは知りません。 |
弥生桜 2006/08/01 20:42 |
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