ほんとうは暖かい光が好き 〜場面緘黙症との闘い

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help リーダーに追加 RSS 65歳で初めて自分が場面緘黙症と知る 米国保護者団体SMG-CANサイト邦訳 (5)

<<   作成日時 : 2005/10/02 19:49   >>

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65歳になって初めて自分が場面緘黙症だったことを知った人がいる。
それはいったいどんな気持ちだろう...
それを知ったときからその人の人生はいくらかでも変わるのだろうか?
生きている間に知っただけでもよかったかもしれない。
確実に一生、場面緘黙症という言葉にたどりつくことなく過ごす人がいる。
自分と似た経験をした人が他にもいることを知らずに孤独感に苛まれて一生生きる人がいる。

アメリカの保護者団体SMG-CANのサイトには、元場面緘黙症当事者からの投稿文が掲載されています。10代から60代まで、症状の経過も様々な人々から投稿されています。
その中でも、65歳になって初めて自分が場面緘黙症だったことを知った男性の体験談を紹介します。

僕は30歳を過ぎて初めて自分が場面緘黙症だったことを知っただけでも、その理不尽さに耐えられなくてこのようなブログを書いているのですが、この方の気持ちはいったいどんなものなのでしょうか・・・

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(翻訳文)
私の全人生に影響を及ぼした子どものときの経験を聞いてください。

私の父は第二次世界大戦中、軍隊にいたので、私は母と姉に育てられました。私は12歳近くになるまで父に会ったことがありませんでした。父は海軍の英雄で、私はとても父の基準にしたがって生きることはできませんでした。それはたぶん、私がそれまで男性の影響を受けずに育ったからでしょう。父はいつも私のことを馬鹿でたいしたものにならないと言いました。後に、父は、同僚やその他の誰に対してもそんなふうに過度に酷評する人だったと知りました。

私は学校では極端に内気でした。両親は私を一年間、寄宿学校に送りましたが、それは私の状態をいっそう悪くしただけでした。他の生徒はみな非行少年か孤児たちで、私はまったくなじむことができませんでした。高校に入る頃には、私はぼろぼろになっていました。コーチや教師や学友たちは、父の予言が実現するように力を貸してくれました。

私は運動が苦手だったので、ある日、体操の授業のとき、何人かのコーチが私を使って面白がることを始めました。彼らは私にバスケットボールをドリブルしながらコートを行ったりきたりさせました。その間、クラスの他の男子生徒たちはサイドラインに並び、私の様子を見ながら大笑いしました。

私は好きな女の子がいました。でも、彼女に話しかけることができませんでした。彼女の近くにいると私は「凍り付いてしまう」のでした。そして、物理的に一言も言葉を発することができませんでした。私は夜家に帰ってから彼女に話したいことを繰り返して言い、それを書きとめて何度も練習したものでした。それはとてもすばらしく聞こえ、私は次の日登校してこの小スピーチを使って彼女を感激させるのを待てませんでした。

翌朝起きたときは、最初はこの娘に話しかけることを実行するんだと考えていました。でも、突然私は大きな恐怖でいっぱいになりました。昨晩とてもすばらしく聞こえた言葉は突然たいへん馬鹿げたものに聞こえるようになりました。そして、これを成し遂げることは絶対にできないと思いました。

後になって、もし練習したときよく聞こえたのだったら、それはたぶんいいのだろう、僕はちょっとこわくなってただけだと思い直しました。私は自分の計画を実行するべきでした。そして、もう一度、私は挑戦しました。しかし、そのときが来ると、私はまた凍りつき、話すことができませんでした。それは物理的に不可能でした。

私は学校の成績もよくなくて、かろうじてD平均値の成績で卒業しました。卒業するのに5年かかり、それにサマースクールに2回通いました。

私は改善したのでしょうか? おそらく、ある程度改善したと思います。数年後、学位をとるためにコミュニティカレッジへ行きましたが、私はプレジデンツリスト、ディーンズリスト、アナーロール(いずれも学業優秀者名簿のこと)に載り、3.75の学業平均値をとりました。そして、月間最優秀学生にもなりました。

なんとか結婚することもできました。10年後に離婚することになりましたが。仕事に関しては、私はこれまで一つの仕事を長期間続けられたことがなく、高い収入を得たことはありません。今まで20000ドルも収入を得たことはありません。

私はいま65歳でセミリタイアしておりますが、フルタイムで働いていたときよりも多い収入を社会保障とパートタイムの仕事で得ています。二つ以上の仕事をかけもってやっていたときよりも多いです。私は一人暮らしをしていて、人との係わり合いを発展させることがまったっくできません。

ごく最近になって初めて私は場面緘黙症、社会不安、社会恐怖症という言葉を聞きました。私はいままでときどき治療を受けましたが、「克服して進みましょう」と言われるだけでした。でもどうやったらいいのかまったくわかりませんでした。

私にはもう遅すぎますが、たぶん、他には、うまくいかない人生を克服するために適切な助けを得るきっかけとなる人もいることでしょう。



(原文)
I would like to share my experiences as a child which have affected my entire life.

As my dad was in the military during World War II, I was raised by my mom and older sister. I didn't get to meet my father until I was almost 12. He was a big Naval hero and I was not able to live up to his standards, probably due to the fact I had no previous male influence in my life. He always told me I was stupid and would never amount to anything. I learned later he was also super-critical of everyone else as well, co-workers and others.

I was extremely shy in school. My parents sent me to boarding school for a year, which only made me worse. All the other students were juvenile delinquents and orphans and I never fit in. By the time I got to high school, I was a wreck. Coaches, teachers, and fellow students helped to reinforce my dad's predictions.

Because of my lack of athletic prowess, some of the coaches decided to have a little fun with me one day in gym class. They made me dribble a basketball up and down the court while all the other boys in the class lined up on the sidelines and howled with laughter at my antics.

I was fond of a girl I met, but was unable to talk to her. I would just "freeze up" when I was around her and was physically unable to utter a word. I used to go home at night and rehearse what I would say to her, write it down and practice it several times. It sounded great and I couldn't wait to get to school the next day and use this little speech to impress her.

When I awoke the next morning, my first thought was my commitment to talk to this girl. Suddenly, I was filled with a great dread. What had sounded so wonderful the night before suddenly sounded so stupid now, and I knew I would never be able to go through with it.

Over time, I decided if it had sounded good when I practiced it, it probably was good and I had just gotten scared. I should have gone ahead with my plan. Again I committed to try, but when the moment arrived, again I froze up and couldn't speak. It was physically
impossible.

I did poorly as well in my schoolwork, graduating with barely a D average, which took 5 years plus two sessions of summer school.

Did I ever improve? Perhaps somewhat. When I went to community college some years later to earn my degree, I made President's List, Dean's List, Honor Roll, had a 3.75 GPA and was even Student of the Month.

I even managed to get married, though it ended in divorce after 10 years. Career-wise, I have been unable to hold a job over a long period of time and have never made much of an income, never as much as $20,000.

I am now semi-retired at 65, making more from Social Security and part-time work than I ever did working full-time, even 2 or more jobs. I live alone, never able to develop relationships.

Only recently have I heard such terms as Selective Mutism or Social Anxiety/Social Phobia. I have been in therapy from time to time, but was only told to "Just get over it and move on." I never knew how.

Though it is too late for me, perhaps someone else might recognize certain symptoms in their own life to seek the appropriate help to overcome a life of failure.


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